「砂漠の狐」回想録――アフリカ戦線1941~43本ダウンロード無料pdf

「砂漠の狐」回想録――アフリカ戦線1941~43

strong>本, エルヴィン・ロンメル

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によって エルヴィン・ロンメル
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内容紹介 第一級の証言。ロンメルの遺稿。 DAK(ドイツ・アフリカ軍団)の奮戦を、指揮官自ら描いた第一級の証言。ロンメルの遺稿ついに刊行! 【ロンメル自らが撮影した戦場写真/原書オリジナル図版、全収録】 本書は、「砂漠の狐」として知られたエルヴィン・ロンメル元帥の遺稿。ロンメルは、1943年にアフリカ戦線の指揮を解かれたのちも、イタリア戦線の視察、さらにはフランスにおいてB軍集団司令官として来るべき連合軍の上陸作戦に対応するための準備作業を進めるなど、多忙な日々を送っていた。その間、わずかな時間をみては、アフリカ戦線の経験をつづった回想録を執筆していたのだった。 1944年、ヒトラー暗殺計画に加担したかどで、ロンメルは服毒自殺を強要され、この回想録も未完となった。しかし、ロンメル回想録という歴史的な資料を眠らせておくにはいかないと、かつてその参謀長を務めたフリッツ・バイエルライン将軍とルチー=マリア未亡人が遺された原稿を整理し、解説を付して、1950年に上梓した。しかし、本書は、日本においては、ほとんど存在さえ知られていなかった。当事者が歴史をかたる、極めて重要な資料である。 内容(「BOOK」データベースより) 本書は、「砂漠の狐」として知られたエルヴィン・ロンメル元帥の遺稿。ロンメルは、1943年にアフリカ戦線の指揮を解かれたのちも、イタリア戦線の視察、さらにはフランスにおいてB軍集団司令官として来るべき連合軍の上陸作戦に対応するための準備作業を進めるなど、多忙な日々を送っていた。その間、わずかな時間をみては、アフリカ戦線の経験をつづった回想録を執筆していたのだった。1944年、ヒトラー暗殺計画に加担したかどで、ロンメルは服毒自殺を強要され、この回想録も未完となった。しかし、ロンメル回想録という歴史的な資料を眠らせておくにはいかないと、かつてその参謀長を務めたフリッツ・バイエルライン将軍とルチー=マリア未亡人が遺された原稿を整理し、解説を付して、1950年に上梓した。しかし、本書は、日本においては、ほとんど存在さえ知られていなかった。当事者が歴史をかたる、極めて重要な資料である。 著者について エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel) 一八九一年十一月十五日‐一九四四年十月十四日。ドイツ国防軍の軍人。第二次大戦時、最年 少の五十歳で元帥。フランス「電撃戦」では神出鬼没の猛進撃をみせ、北アフリカにおいては 巧みな作戦・戦術によって圧倒的に優勢な敵をたびたび壊滅させたことから、敵は畏敬を込め て「砂漠の狐」と呼んだ。数々の戦功や騎士道精神溢れる人格、指揮官としての天才的な能力 などで、今も、「ナポレオン以来」の名将として世界中で人気がある。 大木毅(おおき・たけし)一九六一年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、現在著述業。二〇一六年より陸上自衛隊幹部学校講師。最近 の著作に『灰緑色の戦史―ドイツ国防軍の興亡』(作品社、二〇一七年)。訳書にイェルク・ムート『コマンド・カルチャー―米独将校教育の比較文化史』(中央公論新社、二〇一五年)、マンゴウ・メルヴィン『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』(上下巻、白水社、二〇一六年)、ハインツ・グデーリアン『戦車に注目せよ―グデーリアン著作集』(作品社、二〇一六年)、ヘルマ ン・ホート『パンツァー・オペラツィオーネン―第三装甲集団司令官「バルバロッサ」作戦 回顧録』(作品社、二〇一七年)など。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) ロンメル,エルヴィン・ヨハネス・オイゲン 1891年11月15日‐1944年10月14日。ドイツ国防軍の軍人。第二次大戦時、最年少の五十歳で元帥。フランス「電撃戦」では神出鬼没の猛進撃をみせ、北アフリカにおいては巧みな作戦・戦術によって圧倒的に優勢な敵をたびたび壊滅させたことから、敵は畏敬を込めて「砂漠の狐」と呼んだ。数々の戦功や騎士道精神溢れる人格、指揮官としての天才的な能力などで、今も、「ナポレオン以来」の名将として世界中で人気がある 大木/毅 1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。2016年より陸上自衛隊幹部学校講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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本書はエルヴィン・ロンメル(1891-1944)(Erwin Johannes Eugen Rommel)による『「砂漠の狐」回想録--アフリカ戦線1941~43』(作品社 2017)です。底本はErwin Rommel,herausgegeben von Lucie-Maria Rommel und Fritz Beyerlein,"Krieg ohne Hass",Heidenheim,1950の第二版(1950)です。本書は大木毅氏(1961-)による本邦初のドイツ語原著からの完訳であり各章末には詳しい原註と末尾には同氏による解説が付いています。ドイツ語の原題"Krieg ohne Hass"を英語に直訳すると"War without Hate"すなはち『憎悪なき戦争』となります。ロンメルの著書と言えば第一次世界大戦の「体験と経験」にもとづいて書かれた『歩兵は攻撃する』(原著1937)が知られています。同様にロンメルは第二次世界大戦中も口述筆記をしたり自分で書いたりして回想録を準備していました。1944年10月14日ヒトラーから自殺を強要され亡くなります。残された回想録の草稿を夫人ルチー=マリア・ロンメル(Lucie-Maria Rommel)とアフリカ軍団で参謀長を務めたバイエルライン(1899-1970)(Fritz Bayerlein)(もと中将)が整理し編集して出版したのが本書(の底本となった原著)です。「序文」はロンメル夫人が書いていて北アフリカのドイツ軍人には「騎士道精神」が戦争の残忍さに一定の制限を課した、それゆえ「憎悪なき戦争」だったと書名の由来を述べています。序文の末尾の日付は「1950年10月14日」ですからまさにロンメルの命日です。(日本風に言えば七回忌になります)「夫が亡くなって六年の年月が経った今」と序文の冒頭にも書いています。こうして1950年に出版された『憎悪なき戦争』はドイツ国内でベストセラーになりました。実は本書を手にとるまで私も知らなかったのですが『憎悪なき戦争』がドイツ語から直接、日本語にしかも全文が翻訳されたのは本書が初めてです。原著出版から67年も経過しています。その点における本書の希少価値を考慮に入れると邦訳の題名も『憎悪なき戦争』のほうが内容を正確に伝えていたかもしれません。『憎悪なき戦争』が日本も含めてドイツ国外では翻訳されなかった一因はリデル=ハート(1895-1970)(Basil Henry Liddel-Hart)にあるようです。リデル=ハートはロンメル夫人とバイエルラインそしてロンメルの息子マンフレート・ロンメル(1928-2013)(戦後シュトゥットガルト市長)の協力を得てロンメルの回想録の草稿を編集し英訳して出版します。"The Rommel Papers"(原著1953)がそれです。直訳すると『ロンメル文書(集)』ですが邦訳は『ドキュメント・ロンメル戦記』(読売新聞社 1971)でした。本書の訳者・大木毅氏によりますと"The Rommel Papers" は英語で書かれていたのでよく普及し研究者に今でも参照されていますが大きな問題がありました。例えば①英訳の際に原文にはない(つまりロンメルは述べていない)加筆が大幅になされている。②削除されている部分が少なくない。③よって一次資料としては不正確(多くの加工がなされているから)④史料飜刻にあたる際に歴史家として必要な緻密さがリデル=ハートには欠けている(その理由はいろいろある)。⑤特に日本における邦訳版は原書の一部を削り日本版向けの編集を加えた抄訳に過ぎなかった。しかもその点について何の断りも付されていない。‥‥是非くわしいことは本書の「訳者解説」(pp.436-441)をお読みになっていただけると幸いです。歴史は数学や自然科学とは異なりますが一次資料が間違っていたらその上に建てるいかなる仮説も考察も間違っていることになります。間違ったデータの上に正しい理論が作られることはありません。その意味で私はしろうとの読書子に過ぎませんがまず本書から読めばよかったと今になって思いました。さてそういう本書の内容ですが小説とは違うので読みやすいとは言えません。「体験と経験」を述べているので臨場感と迫力はありますが自己宣伝も含まれているようです。しかし回想録や日記にそうした傾向があることはジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)の『告白』以来あるいはアウグスティヌス『告白』以来洋の東西と時代を問わず普遍的な現象なのでそれは必要に応じて差し引いて読めばよいかと思います。(性格の分析にも役立ちます)ではいわゆる「ロンメル神話」「ロンメル・レジェンド」についてはどうでしょうか?私は中学生のとき①ハインツ・シュミット『砂漠のキツネ』(角川文庫 1971)(清水政ニ訳)を読み大人になってから②デズモンド・ヤング『ロンメル将軍』(月刊ペン社 後に早川書房 1978)を読み③"The Desert Fox:The Story of Rommel"(1951 米国映画 モノクロです)を観ました。最初に読んだのがロンメルの副官だったシュミットによる本(伝記というよりは自身の戦争体験記)だったのが良かったかもしれません。その本の訳者も書いているように「召使いから見た主人に、偉人はない」と言われます。ロンメルは自分にも厳しかったでしょうが部下の将校に対しても兵隊に対してもあるいは他の将官に対しても相当厳しかったということが具体的に書かれています。いくつかの要素を俯瞰して見ると①祖父も父も数学教師で士官学校を出た職業軍人である。②自己主張は強かった。③ナチ党党員ではなかった。④北アフリカ戦線では例えば東部戦線で見られたような捕虜や民間人の虐殺・虐待はなかった。⑤ヒトラーユーゲント指導者フォン・シーラッハ(1907-1974)とはそりが合わなかった。⑥国家元帥・ナチナンバー2のヘルマン・ゲーリング(1893-1946)とは対立していた。⑦ミニスターことゲッベルス(1897-1945)とは互いに利用し利用される関係であった。⑧ヒトラーには気に入られたから50歳の最年少でドイツ陸軍元帥に昇進することができたが最終的にはヒトラーと対立しロンメルは「総統は殺されなければならない。ほかに手段がない。あの男こそが、すべてを推進している源なのだ」と言ったと伝えられる。⑨最後はヒトラーから自殺を強要され自殺した。⑩準備不足でも突進する猛将タイプであった。結果、麾下の将兵の死亡率は低くはなかった。‥‥などの点が目につきました。肯定的な要素もあれば否定的な要素もあります。騎士ではないかもしれませんが狂信的なナチでもありません。国内外の諸般の事情や思惑によって偶然も作用して世界的に高名になったまずまず優秀な職業軍人というのが平均値かもしれません。「ロンメル神話」「ロンメル・レジェンド」をめぐる真の像について本職の研究者によるさらなる深化を期待しているところです。最後に軍人ではない他の分野の人たちと比較してみましょう。例えば指揮者のカラヤン(1908-1989)(Herbert von Karajan)はれっきとしたナチ党員でした。党費滞納で一度ナチ党から除名されますが再び自分の意志でナチ党に入り直しています。ヒトラーが政権をとったときカラヤンは25歳位でまだ若手でした。しかしナチ政権(ゲッベルスなど)はベテラン・中堅の指揮者であってもユダヤ系であれば弾圧したのでカラヤンよりも上の世代がいなくなり(少なくなり)カラヤンは活躍の場を得ることができました。また指揮者としての音楽的な解釈もバッハ(1685-1750)ヘンデル(1685-1759)のようなバロック音楽には不向きでしたがワーグナー(1813-1883)のような後期ドイツロマン派には向いていたようです。カラヤンの得意分野とヒトラーの好みの分野は(結果として?)一致していました。またカラヤンの指揮による音楽は速度がやたらと速くそれが現代的と解釈されたものです。皆川達夫氏(1927-)が「カラヤンによるバッハはいちど聴けば私は結構です」と述べていましたが私も同感です。カラヤンは何を(バッハを)振っても後期ロマン派になってしまうと感じるからです。音楽には好みもありますからファンがいても不思議ではありませんが確信的なナチ党員だったカラヤンとナチ党員ではなかったロンメルをどう比較しどう論じたらよいのかいろいろ考えさせられます。あるいはアポロ計画で有名なフォン・ブラウン(1912-1977)(Wernher von Braun)もナチ党員でありSSつまりナチ親衛隊(Schutzstaffel)の少佐でもありました。V-1とV-2の技術を手土産に米国に亡命し1969年7月、アポロ11号によって人類を初めて月に送りました。1975年にはアメリカ国家科学賞を受賞しています。考察の対象となる人の職業が職業軍人・指揮者・ロケット工学者のいずれにかによってバイアスがかかっているように思います。また戦後どこで、どのような活躍をしたかによっても評価が変わるようです。さらに戦後の「冷戦」も微妙に影響を与えています。例えば1946年3月「鉄のカーテン」演説1948年6月ベルリン封鎖1949年5月10月東西ドイツに分断1950年10月『憎悪なき戦争』出版1961年8月ベルリンの壁構築1989年11月ベルリンの壁崩壊1989年12月マルタ会談(冷戦終結)1990年10月東西ドイツ統一1991年12月ソ連消滅‥‥こうして見ていきますとロンメルの評価も時代の影響とは無関係でないことが感じられます。

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